第六回(2010年度)
受賞者及び受賞業績
オリオン・クラウタウ
『近代思想史としての仏教学――国民国家と僧風刷新の歴史記述』東北大学提出博士論文、2010年3月
受賞理由
オリオン・クラウタウ氏の受賞業績「近代思想史としての仏教学――国民国家と僧風刷新の歴史記述」は、近代国民国家の形成過程で「日本仏教」の歴史がどのように描かれ、特徴づけられていったかについて、明治期から現在までを展望しようとした労作で、日本仏教史の自己理解の言説史として斬新であるとともに、現代日本においてもなお「日本仏教」がどのように理解されているかをふり返る上でも示唆的な、現代的意義の大きい業績である。 クラウタウ氏は近代的な「仏教」の歴史的理解や概念構成が、日本においてどのように形づくられていったかという大きな問題を立て、その研究動向を概観した上で、日本における仏教学や歴史学・思想史学など関連分野における仏教史叙述のあり方に焦点をあてる。そして、鎌倉仏教を重視する「日本仏教」の叙述パターンがどう定まっていくかという問題と、「近世仏教堕落論」がどのように形成されていくのかという、関連し合った二つの課題を設定し、二部構成で論じていく。
第一部では、まず、明治初期には仏教を日本のそれに限定せず普遍化して捉えようとする傾向が強かったことが示される。帝国大学で最初に仏教を講じた原担山はそうした方向で仏教学を構成しようとしていた。こうした方向をとった原担山には国民精神と関連づけて仏教を論じる傾向は見られなかった。ところが、原担山を継いで帝国大学の仏教講座を担当した村上専精となると「日本仏教」への傾きが強まる。「日本仏教」を掲げる著作は村上以前にもあったが、村上のそれは宗派の祖師に重きを置いたものとなる。とりわけ、日露戦争の頃から宗派仏教の優越性を強調するようになり、鎌倉新仏教こそが高い価値を達成した指導者たちであったと主張されるようになり、大正期以降の高楠順次郎は家族国家論を取り込んだ日本仏教論へと発展させる。そして、さらに第二次世界大戦期の国体論に寄り添う花山信勝や、哲学的な「否定の論理」に依拠する家永三郎の、ともに聖徳太子と鎌倉仏教を際立たせる日本仏教史観に受け継がれていく。
第二部では、近世仏教堕落論の始まりが明治初期の「僧風刷新」の潮流に求められる。「僧風刷新」を動機とする仏教批判は慈雲の正法律運動に見られるように、すでに近世から存在するが、明治維新後、神仏分離や廃仏毀釈の潮流の中で、仏教勢力が連携して国家への貢献と国家からの再評価を追求する過程で自己反省の形で大きな論調となっていった。明治元年に結成された諸宗同徳会盟を淵源とするこの論調は、その後、「日本仏教史」や「日本宗教史」を掲げる書物に度々表れる定番となっていく。だが、近世仏教堕落論を堅固に見える学問的記述と結合したのは辻善之助であり、一九三一年以降のことだった。しかし、彼のその見方はすでに一九〇二年の論文において表れている。実証性が高いと見られてきた辻の業績だが、ステレオタイプ的な評価が下敷きになっていることは見逃せない。また、真宗の立場や国家協力に肯定的な政治的立場が背景にあることも忘れるべきでない。辻によって確立した近世仏教堕落論は第二次世界大戦後においても、多くの学者に引き継がれており、大桑斉や高埜利彦らによってそれを克服するような見方が提示されるようになったのはようやく最近のことである。
以上のように、クラウタウ氏のこの論文は、明治期から現代に至る日本仏教史において支配的であった固定観念的な見方の主要なものを取り上げ、その形成・展開過程をたどり、批判的に見直す視座を提示したものである。現代においてもなお、日本の仏教界や関連学界、また人々の日本仏教観に深く浸透していてなかなか自覚されにくい諸前提を露わにし、もっと現実に即した日本の仏教史の見方ができるようにするための基礎作業が積み重ねられ、大きな図柄が描き出されている。
やや図柄が単純化されすぎており、日本仏教観の多様な表れや微妙な変化のニュアンスが見えにくくなっているという難点はあろうが、大きな展望の下にここまで先行研究によく目を通し、関連資料を調べ上げた力量はりっぱなものであり、現代日本の宗教が抱える実践的な諸問題に応じるための示唆を読み取ることも可能である。よって本選考委員会は、本業績が国際宗教研究所賞を受賞するに久しいものと判断する。
2011年2月19日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会
受賞者経歴
Orion KLAUTAU オリオン クラウタウ
1980年、ブラジル生まれ。2002年サンパウロ大学歴史学科卒業。2010年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、日本学術振興会外国人特別研究員。専門は宗教史学(近代日本仏教)。
主要業績
「近世仏教堕落論の近代的形成――記憶と忘却の明治仏教をめぐる一考察」
(『宗教研究』第354号、2007年)
"Against the Ghosts of Recent Past: Meiji Scholarship and the Discourse on Edo-Period Buddhist Decadence"
(Japanese Journal of Religious Studies, 35/2, 2008)
「原坦山にみる明治前期仏教言説の動向」
(『日本仏教綜合研究』第7号、2009年)
「大正期における日本仏教論の展開――高楠順次郎の思想的研究・序説」
(『日本思想史学』第42号、2010年)
「十五年戦争期における日本仏教論とその構造――花山信勝と家永三郎を題材として」
(『佛教史學研究』第53巻・第1号、2010年)
受賞者及び受賞業績
岡本 亮輔
『ポスト世俗化の宗教変容と宗教社会学の再構築――現代フランスの聖地巡礼についての宗教社会学的研究』筑波大学提出博士論文、2010年3月
受賞理由
本論文は、現代宗教社会学の中心的な課題の一つ、即ちポスト近代、ポスト世俗化状況における新たな宗教性の生成やその特質の解明という課題について、一方で欧米宗教社会学の「世俗化論」の展開を後期近代化の社会理論に照らして綿密に再検討することを通して、またもう一方で現代フランスを中心とした現代西欧社会における聖地巡礼の具体的事例の掘り下げを通して、即ち理論と実証の両面から斬りこんだ意欲的な研究である。
理論篇とも言うべき第Ⅰ部では、世俗化論に関しこれまでになされた様々な議論及びその最近の展開を広く渉猟し、錯綜した議論や問題点を巧みに整理するとともに、ポスト世俗化の宗教変容のあり方について著者独自の新たな理論的視座を提示している。それは宗教の私事化の進展、宗教の個人選択の拡大といった従来の世俗化論を引き継ぎつつも、個人は意味やアイデンティティの調達を、決して十全な自律性によってではなく、自らが帰属する社会文化的文脈との関係性の枠内で選び取るとする「私事化の文脈依存モデル」である。そして従来の私事化モデルが暗黙に想定する自立的、自律的な「強い信仰者」像を批判し、自らの信仰を他者や他集団との相互作用の中で不断に問い直して再構築する「弱い信仰者」像をよりリアルな現代人の姿として対置している。世俗化に関する諸学説の検討、整理として周到であるとともに、提起された新たなモデルは私事化の個人主義儀的モデルに対する現実的な修正案として説得力がある。
こうした理論的な見通しの下に、更に実証篇の第Ⅱ部ではフランスを中心とした現代西欧社会の聖地巡礼(ブーム)が取り上げられて検討される。そこでは奇跡のメダル教会の巡礼、サンティアゴ巡礼といった従来型の巡礼だけでなく、テゼ共同体やイベント型の「大会巡礼」といった現代型の新しいタイプの巡礼も含めて、様々なタイプの現代の聖地巡礼に光が当てられる。ツーリズム研究などの現代的視座も取り入れつつ、特にそれらの参加者の様態ついて、それぞれ現地でのフィールド調査、参与観察、聞き取り調査を駆使した細やかな分析が加えられている。そして従来からのキリスト教(カトリック)信者とは異なる様々な人々が自由に参加し、それぞれ異なる聖性・真正性の追求や体験が生まれている姿が生彩ある筆致でくっきりと描きだされている。自らの理論的枠組みに適合的と思われる対象に焦点をあわせているとはいえ、それらは概ね著者の主張する「私事化の文脈依存モデル」を実証的に裏づける内容となっている。
前半の理論部分と後半の事例の検討では研究や議論のスタイルを異にするにもかかわらず、それぞれ読み応えがあり、しかも理論の提示と具体的事例によるその検証という関係において、論文全体としての統合度は高く、著者の力量の高さを窺わせる。
勿論残された課題も少なくない。著者の主張するポスト世俗化期における「宗教的共同性の再構築」については、個人化した聖地巡礼の事例からは必ずしもくっきりとは浮かび上がってこない。個人化した巡礼における一期一会的な出会いがどのように共同性に繋がってゆくか疑問も残る。
また、著者の主張する「私事化の文脈依存モデル」自体が、カトリック文化圏という文脈に依存してはいないのだろうか。カトリック文化圏の聖地巡礼はそもそも参加や関与の自由度の比較的高い民俗宗教的な宗教実践であり、現代の聖地巡礼のブームもそうした土壌の上に展開しているとも考えられる。しかしそのような文化資源が脆弱な地域で果たして同じような状況が生じるのかどうかも検討の余地があろう。
こうした検討課題は残されて入るが、本論文は現代社会における宗教性の表出の特質は何かという宗教社会学上の根本的な問いに正面から立ち向かい、既存の学説、理論についての綿密な検討をベースに、興味深い現代的現象にフィールド調査の手法で肉薄することを通して、新たなしかもクリアーな像を提起した独創性の高い研究成果であり、国際宗教研究所の定める審査基準に照らして、同研究所賞受賞にふさわしい業績として評価できる。
2011年2月19日
(財)国際宗教研究所賞審査委員会
受賞者経歴
岡本 亮輔 おかもと りょうすけ
1979年東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了(2007~2008年までフランス社会科学高等研究院に留学)。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD。専門は宗教社会学・宗教学。
主要業績
「私事化論再考――個人主義モデルから文脈依存モデルへ」
(『宗教研究』81(1)号、日本宗教学会、2007年)
メレディス・B・マクガイア『宗教社会学――宗教と社会のダイナミックス』
(共訳、明石書店、2008年)
「聖地の零度――フランス・テゼ共同体の事例」
(『宗教と社会』15号、「宗教と社会」学会、2009年)
「現代フランスにおける新共同体の展開と聖地巡礼――聖地の再構成と大会巡礼」
(『哲学・思想論集』28号、筑波大学哲学・思想学会、2010年)
「信仰なき巡礼者――サンティアゴ・デ・コンポステラへの道」
(山中弘編著『宗教とツーリズム』世界思想社、2011年)