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第十三回(公財)国際宗教研究所賞奨励賞
受賞業績
安田慎著『イスラミック・ツーリズムの勃興――宗教の観光資源化』ナカニシヤ出版、2016年
授賞理由
近年、宗教研究のトレンドの一つに「宗教とツーリズム」がある。宗教という聖なるものと、ツーリズムという俗なものとの関係を排他的ではなく、相補的に捉える一連の研究群が形成され、そこには、そもそも聖と俗という古典的二分法が現実的にも研究視点としてもゆらぎつつある傾向が反映されている。さらに、この傾向は世俗化が進む現代世界に抗うかのように見えるイスラーム圏にも看取することができる。
本書は19世紀末から2011年のシリアに位置するシーア派参詣地群を対象に、宗教の観光資源化の観点からイスラミック・ツーリズムの勃興を解き明かすものである。これまで政治との関連で同様の研究はあったものの、ツーリズム研究の視点からの分析は乏しかったと著者は述べ、「観光資源化」「コミットメント」「私事化」「宗教観光」「宗教実践」「宗派コミュニティ」「宗派ネットワーク」「ネットワーク・ガバナンス」等のキーワードを用いて論を進めている。
その基本的な視点はイスラーム圏においても個人が自由に宗教へとコミットメントできる私事化の環境が整い、しかもその私事化が序列化されていくという意味で社会性を強く帯び、この私事化と社会化からイスラミック・ツーリズムをとらえようとするものである(1章)。そして2~4章ではシーア派宗派意識の覚醒と宗派コミュニティの形成がシリア国内に参詣地群を誕生させ、政府・行政がその管理下に置きつつも、次第に民間観光産業を受け入れてネットワーク・ガバナンス型行政に変化するプロセスを描いている。5~7章では宗教観光産業の形成によってさまざまな消費者の関わりが生まれ私事化が進む一方、宗教的な正しさを巡って禁止事項が作られたりシーア派としてのシンボルが強調されたりするなどの共同性が再定式化される動きが論じられている。
本書を「現代性」「国際性」「実証性」という本研究所賞の審査基準に即して、その評価すべき特徴をあげると、まず一枚岩に見えるイスラーム巡礼を、私事化・流動化した個人のコミットメントのレベルからとらえ、金・人・モノが流通する市場形成の形成過程を追う本書の一貫性があげられる。そしてこうした動向(本来は歴史的にローカルな遺産が普遍的な価値を持つものと認められグローバルな観光化・商品化の波にさらされる)はユネスコの世界遺産の制定後、各地で見られることで、本書が切り込んだ同時代的・現代的な視点は、後続する研究が参照すべき意義を有しているものと考えられる。さらにシリア観光省の行政資料などを用いてネットワーク・ガバナンスに舵を切るプロセス(4章)、旅行会社の調査によって明らかになる地縁・血縁から私事化へのアクターのネットワークの変容(5章)、文献研究と参与観察を重ね合わせて分析する参詣地における実践の平準化と共同性獲得の同時進行(7章)など、論証の多様性と説得力、判りやすい表現方法も本書の実証性をより高めていると言えよう。
本書は日本ではあまり知られていないイスラミック・ツーリズムの展開を、シリアを中心に論じており、その点で、全体的に啓蒙的な性格を持ったものと言える。とりわけ、8章の「シャリーア・コンプライアンス」に基づくホテルの格付けサービスの進展は、それ自体としても興味深い情報であり、観光と倫理という難問を考える上でもさらに議論を深めていきたい事例の提供になっている。しかし本書のキーワードとなっている諸概念があいまいなのも事実で、例えば最も重要な「コミットメントの私事化」も、より一層の精緻化が求められる。総じて本書の性格は観光研究の領域からするイスラーム世界の観光動向に留まっていると言えるが、筆者の力量からすると必ずやここから出発し、近い将来、示唆に富むと業績や傾聴すべき論考を重ねる可能性があると認め、本書に国際宗教研究所奨励賞を授与するものである。(2018年2月24日(公財)国際宗教研究所賞審査委員会)
受賞者プロフィール
安田慎(やすだ しん)
1983年生まれ。2012年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科五年一貫博士課程修了、博士(地域研究)
現在、帝京大学 経済学部 観光経営学科講師。専門はイスラーム地域研究、観光学。
主要業績
「日本におけるムスリム観光客 観光におけるハラール認証制度の受容をめぐる現状と課題」中東研究、520号、2014年
「セルフィーが生み出す景観-マッカ巡礼における宗教景観論争と共有のパフォーマンス」河合洋尚編『景観人類学 身体・政治・マテリアリティ』時潮社、2016年