第十一回(2015年度)
受賞者及び受賞業績
藏本 龍介
『世俗を生きる出家者たち:上座仏教徒社会ミャンマーにおける出家生活の民族誌』法藏館、2014年
受賞理由
本書は、上座仏教圏で最大規模の出家者数を有する現代ミャンマーの事例の検討を通じて、上座仏教における教義と実践の複雑で動態的な関係を浮き彫りしようとした野心的な力作である。全体の構成は、著者の問題意識を述べた序論を冒頭に配して、大きく2部に別れている。第1部「経済的現実への対処」(第2~4章)では、ミャンマー・サンガの歴史を振り返りながら、最大都市ヤンゴンを対象として出家者が都市社会との関係をいかに調整しながら財を獲得し、さらに僧院組織において出家者が財をどのように所有・使用しているのかについて論じられている。第2部「 教義的理想の追求」(第5章~7章)では、律の厳格な遵守を志向する2つの「森の僧院」を取り上げて、よりミクロの視点から教義的理想がいかに追求され、それがいかなる問題を孕んでいるのかが検討されている。
さて、上座仏教社会の出家者が「律」をどのように実践しているのか、これが本書を貫く著者の中心的な問題意識である。この問いは、いっけん平凡で新味がないように感じられるかもしれない。しかし、著者は、この問いを出家者の経済的問題、つまり「カネ」を中心とする財の問題との関わりで一貫して検討しようとする。ここに本書の魅力とオリジナリティがあるように思われる。著者によれば、出家者が実践する律は、財の獲得・所有・使用方法を厳しく制限するが、生きるために出家者も財を必要とする。つまり、律が要請する世俗からの離脱は、逆説的に経済的問題を考慮せざるをえなくなるというのである。律の制約によって、都市部への僧院の集中、都市僧院の分布の偏り、同郷・ 同民族とのつながりなど、出家者の都市への居住の仕方が大きく方向づけられ、さらに律が要請する出家生活の清浄性や安定性も、僧院組織を支える管財人としての在家者の量や質によって左右される。つまり、律の遵守によって逆説的に生じる出家生活の世俗社会への依存が指摘されるのである。しかし、著者の主張はここで終わらない。むしろ、改革派の出家者たちの中には、在家者の様々な布施(贈与)によって世俗的な世界に絡め取られることがないように、僧院の組織改革を模索しており、律を厳格に遵守したいという願望は、財の圧力に屈するのではなく、律を絶対的参照枠として、財と常にやり取りしながら律を守っていくという志向性を生み出している。その意味で、著者は、出家とは世俗から離れた安定的な立場ではなく、律が要請する理想を実現するために世俗的な力との調整を常に試みる「運動」だと捉えるのである。こうした著者の主張に、人類学的立場の背後にある著者自身の仏教に対するある種の思い入れを垣間見ることができるように思われる。
もちろん、本書に問題点がないわけではない。本書第2部で詳述されている2つの改革派僧院がミャンマーの上座仏教全体においてどのような位置にあるのかがそれほど明瞭ではなく、そのため、こうした森の僧院の事例がどの程度一般化できるのかが定かではない。とりわけ、著者が、ミャンマーの事例を基礎にして、タイやスリランカなど他の上座仏教圏との比較によって抽象度の高い理論の構築を試みるとするならば、この事例の位置づけについてはさらに深める必要があるように思われる。しかし、本書は、ミャンマー上座仏教の僧院における著者自らの出家の実践を通じて、経済成長が著しい上座仏教圏における出家主義と財との複雑で動態的な関係を鋭く論究しており、選考委員会は、本賞の選考基準に照らして本賞に相応しい優れた研究業績であると判断するものである。
2016年2月20日
(公財)国際宗教研究所賞審査委員会
受賞者経歴
藏本 龍介 くらもと りょうすけ
1979年生まれ。2013年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。2015年パーリ学仏教文化学会賞(学術賞)。現在、南山大学人類学研究所・第一種研究所員/人文学部・准教授。専門は文化人類学、ミャンマー地域研究。
主要業績
「上座仏教徒社会ミャンマーにおける「出家」の挑戦:贈与をめぐる出家者/在家者関係の動態」(『文化人類学』78巻4号、2014年。)
「都市を生きる出家者たち:ミャンマー・ヤンゴンを事例として」(『国立民族学博物館研究報告』39巻1号、2014年。)
「律を生きる出家者たち:上座仏教徒社会ミャンマーにおける僧院組織改革の行方」(『アジア・アフリカ言語文化研究』88号、2014年。)