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第十六回(公財)国際宗教研究所賞・奨励賞
【研究所賞】
授賞業績
松谷 嘩介『日本の中国占領統治と宗教政策―日中キリスト者の協力と抵抗―』(明石書店、2020年1月)
授賞理由
本書は、日本による中国占領統治下において、欧米キリスト教宣教師の影響力に対抗するため日本の諸宗教団体を中国大陸に進出させる宗教政策と、そこで協力・抵抗した日中キリスト者の動向を、政策・組織・人物の視点から解明するものである。本書の下敷きとなった論考は2013年に北九州市立大学より博士学位論文として認められ、その後、香港中文大学での研究、中国大陸やアメリカでの調査の成果も加わった労作として評価できる。
筆者の松谷氏は牧師であるが、祖父の代からのアジアとの関係を踏まえ、筆者なりの使命感と倫理観を背景に長年の研究成果を本書に結実させた。豊富に収集された史料に基づく解釈は極めて実証的で広い視野が感じられる。日本占領統治時代の日本の各宗教の動向について、仏教を中心にした研究や日本キリスト教史の中の時代や地域を限定したものはあったが、本書は各地の史料を広汎に掘り起こし、その動向を網羅的に解明している。そして安易な一般化や類型化を退け、史料に向き合い、それらを緻密に分析していて、学問的に誠実な研究方針に貫かれていることが選考委員会で高く評価された。
同時に本書がこれまであまり明らかにされていなかった組織や個人の動きを追っている点も注目に値する。例えば陸軍内部の宣撫工作として部隊ごとの政策の違いについて留意するとともに、中国の地域ごとに異なる社会状況にも目を向けている。その上で華北地域と華中地域で欧米のキリスト教宣教師に対する日本当局の政策が微妙に異なっていたことを明らかにするなど、分析の着眼点は優れている。
さらに、牧師・楊紹誠を取り上げ、彼が日本に協力し、そのため戦後批判されていく過程を丹念に追っている。彼が執ろうとした教会保護や彼の人間観ゆえの敵国キリスト者との交流を明らかにした点などは、ライフヒストリー研究としても極めて読み応えがある。安村三郎、阿部義宗、賀川豊彦、矢内原忠雄の中国との関わりの多様性の解明も興味深く、人物研究においても、従来の評価を踏まえつつ、より俯瞰的な評価を加えている。
ただ本書の対象が20世紀前半の時期に限られ、当時の問題が現在の日本キリスト教にどう関わりをもつかなどには直接の言及はなされていないこと、また日本が宗教政策で意識した欧米キリスト教宣教師の影響力の程度やカトリックの動向への言及がないことには物足りなさがある。しかしながら本書が、史実を明らかにしようとする姿勢に貫かれ、信頼のおける記述内容となっている点で選考委員会は意見の一致を見、本書を2020年度(公財)国際宗教研究所賞に最も相応しいとする結論に達した。
(2021年2月20日 (公財)国際宗教研究所賞選考委員会)
【奨励賞】
授賞業績
山本 健介『聖地の紛争とエルサレム問題の諸相―イスラエルの占領政策とパレスチナ人―』(晃洋書房、2020年2月)
授賞理由
本書は、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に提出された博士論文に加筆・修正をしたものである。構成は「聖地の紛争とエルサレム問題の捉え方」を序章として、第I部「パレスチナの聖地と紛争を捉える土台」(1章~2章)、第II部「紛争下における聖地の位置づけの変質―オスマン帝国末期から現代まで―」(3章~6章)、第III部「現代のエルサレム社会と聖地の紛争の動態」(7章~8章)、終章「変質する紛争と多様化する争点」からなっており、全体として、エルサレムのオスマン帝国・英国委任統治期の歴史的経緯を踏まえて、1993年のオスロ合意後から2000年代の時期を中心に、主にエルサレム旧市街に位置する聖地「ハラム・シャリーフ/神殿の丘」をめぐるパレスチナ人とイスラエルとの対立の様相を論究したものである。
本書の特徴の一つは、聖地の対立を、ユダヤ教とイスラームという二つの宗教の対立にだけ収斂させるのではなく、複雑に関連するそれ以外の諸要因との関わりで論じたところにある。宗教以外の要因として著者が注目するのが、双方の共存を可能にする平和的枠組みの出発点と期待された1993年のオスロ合意である。著者によれば、合意はかえってイスラエルとパレスチナの領土分割を基礎とする領土紛争的な側面を生み出し、これまで宗教的・民族的シンボルとして機能していた聖地が、領有や管理の対象となってきたことを指摘している。特に、イスラエル国内における宗教的シオニズムの動きの活発化を背景にして、ハラム・シャリーフ/神殿の丘の管理やアクセスをめぐる対立が可視化されるようになったという。
もう一つの特徴は、聖地の紛争の視点を、聖地を越えた都市経済や日常生活との結びつきにまで広げて論じたことにある。イスラエル支配の強化によって旧市街や西岸地区とエルサレムとの分断が進んだことで、ハラム・シャリーフ/神殿の丘への参詣者が減少し、それが旧市街や東エルサレムの経済的停滞を招き、それを打開するために様々なイスラーム運動が展開しているという。この部分は、政治的枠組みで理解されがちなパレスチナ問題を、そこに生活しているパレスチナの人々の生活実感に密着して論じられており、本書の魅力の一つになっている。宗教研究の立場からは、紛争の当事者のもう一方の側のイスラエルでの宗教的シオニズムの動きのより詳しい論究も欲しかったが、全体として、本書の副題「イスラエルの占領・併合政策とパレスチナ人」に示されるように、パレスチナ人たちの視点からこの問題を意欲的に検討している。
以上、本書は、エルサレムにおける聖地の紛争を豊富な現地調査と資料を駆使して、新たな視点からエルサレム問題を読み解こうという意欲に満ちており、選考委員会は国際宗教研究所奨励賞にふさわしい作品であると判断した。
(2021年2月20日 (公財)国際宗教研究所賞選考委員会)