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シンポジウム

公開シンポジウム「記憶の場としての葬儀」
――その宗教性と非宗教性の境界

このシンポジウムは終了しました。
多数の皆様にご来場いただきありがとうございました。

日 時 2018年2月24日(土)13:00~17:00
※受付開始時間 12:30~
場 所 上智大学2号館17階2-1702会議室(東京都千代田区紀尾井町7-1)
参加費 無料(懇親会費 3,000円)

この度、(公財)国際宗教研究所は上智大学グリーフケア研究所との共催で、2017年度シンポジウムとして「記憶の場としての葬儀―その宗教性と非宗教性の境界」を開催することとなりました。多くの方のご参加をお待ちしております。
※参加申し込みはこちらから☞  

※Web申込は終了しました。席に余裕はございますので、参加ご希望の方は当日会場受付までお越しください。

・・・・・・シンポジウム概要・・・・・・

登壇者①芳村正徳(神習教教主)
   ②岡澤慶澄(長谷寺住職)
   ③大西克明(東洋哲学研究所研究員)
   ④クレイシ・ハールーン(日本イスラーム文化センター大塚マスジド事務局長)
司会 三木英(国際宗教研究所常務理事)
コメンテータ 井上順孝(国際宗教研究所常務理事)

 日本でも戦後まもなくまでは、葬儀といえばほとんど僧侶が関与していた。故人の属する仏教宗派もおおかた分かっていた。それが高度成長期が終わったあたりから明らかな変化が萌した。仏式の葬儀が減少し、また仏式で行っても宗派にこだわらない人も増えた。といってキリスト教式や神道式がさほど増えたわけではない。無宗教式や葬儀を行わない例(直葬)、あるいは数は少ないものの散骨・自然葬を選ぶ人が出てきた。葬儀からますます宗教色が薄まったという印象を多くの人が抱くようになっている。
 仏式の葬儀が減少したこと自体は、檀家制度が江戸時代に確立したこと、明治時代にそれが政治的支えを失ったこと、戦後その影響が社会面でも顕在化してきたことを考えれば、ある程度説明がつく。他方で、最近は積極的に宗教性を放棄する散骨・自然葬、直葬などと呼ばれる葬儀が注目を浴びている。お布施・戒名料問題など金銭に関わる議論も少なくないが、ここでは宗教家が葬儀を司式することに対して、その意義が問われるようになっているのではないかという点に着目したい。
葬儀には故人に対しそれぞれの記憶を持つ人々が集まる。葬儀の場では、それぞれの記憶が喚起される。故人への追悼の言葉は、宗教的な葬儀であるかどうかに関わらず、多くの葬儀の場で述べられる。それは故人の記憶をあらたにさせるがゆえに特別の意義をもつ。
ではそこで特定の宗教にのっとった儀礼がなされる場合と、そうでない儀礼の場合とで、故人へのそれぞれの記憶をもって参列した人たちにとって何が異なってくるのであろうか。宗教的葬儀においてなされる故人の記憶への宗教的意味付与は、参列者にどのような影響を与えるものであろうか。
葬儀において故人の死後を語れば、それは記憶を未来につなげる営みと言える。故人への記憶が人ごとに異なるとすると、そのつなげ方も人ごとに異なるはずだが、特定の宗教に基づく葬儀では、その未来へのつなげ方が様式化される傾向が出てくる。そのことがどう受け止められるようになっているかを考えてみたい。さまざまな葬儀のあり方を踏まえながら、葬儀に宗教性が関わってきたことの意味や、これからそれがどう変わる可能性があるかを議論する。

ポスター.pdf

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