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現代宗教2014 《特集》老いに向きあう宗教 緒言

日本は2007年に超高齢社会(65歳以上の人口が21%を超えた社会)に突入し、大きな変化、深刻な問題に直面しつつある。それは宗教団体にも少なからぬ影響を及ぼしつつある。

東日本大震災の直前には、「無縁社会」や「孤族」などという言葉がメディアを賑わせていた。これらは単身高齢者の経済的困窮や孤独死の増加を指すものであった。宗教界もそのような状況の改善に関心を持っていた。国際宗教研究所においてもシンポジウム「無縁社会と宗教者─新しいネットワークの創出―」を2011年2月に開催している。このような社会状況は震災とともに消え去ったわけではない。むしろ、ますます深刻になっていると言えるだろう。

それに加えて、尊厳死法制化の動きが見られ、一部の政治家から高額医療費削減の効果がほのめかされている。医療者の間では、延命措置を停止しても殺人罪に問われないための方策が議論されている。痛みは取り除くが、意識が戻らない可能性が高い鎮静(セデーション)という措置は実質上の安楽死として機能している。ガンなどを積極的に治療せずに「自然死」させることを勧める本、また後期高齢者の認知症患者に人工栄養をおこなわず「平穏死」するように勧める本などが数多く出版され、支持を得ている。国民の8割は延命治療を望んでいないという世論調査の結果もある(朝日新聞、2010年11月4日)。他方、安楽死を法制化した諸外国で治療そのものが消極的になっており、命の選別がなされているという実態も報告されている(児玉真美『死の自己決定権のゆくえ─尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植―』大月書店、2013年)。これらの問題に対して、高齢信者を多く抱える教団は高い関心を抱かないわけにはゆかない。学問的にも調査や議論を進める必要があるのだが、まだ十分とは言えない。

高齢化は社会の問題であるだけでなく、宗教教団の問題でもある。信仰の継承や後継者問題は、伝統宗教ばかりでなく、創設から長い年月を経た新宗教も直面している問題である。かつてないほどの長寿が実現した結果、層の厚い高齢世代が主導権を長く握り、若年世代のニーズと乖離して若い信者の減少を招き、信仰の継承がなされないまま他界してゆくというシナリオも、考えられないわけではない。

一方、高齢化を「問題」としてばかりとらえる視点の貧しさにも注意したい。高齢化を問題とする言説は、世代間対立を煽り、社会保障を切り詰め、経済成長によって切り抜けようという支え手世代の生存戦略と密接に関連している。だが、実際の高齢者にとって、「老い」は宗教性を高める契機でもある。親しい人の死に直面する機会が増え、自らの死生観の問い直しを迫られる。また自らの死への直面とともに、スピリチュアルな次元への関心が増す。高齢化と信仰率、ないし宗教伝統への再接近の相関は、宗教意識調査の定説である。だが、現代における老いゆく人の宗教的経験についての学問的な調査は意外なほど進んでいない。

とはいえ、「宗教を信じる」割合は、以前ほど加齢と比例するような高まりを見せていない。たとえば、昭和一桁世代が50代以降から4割程度をキープするのに比べると団塊の世代は3割程度である(統計数理研究所の国民性調査など)。他方、宗教伝統に依拠しない新しい葬送の形や死生観が模索され、また宗教を信仰するには至らないまでも教養として学ぼうという知的関心は高まっている(宗教を解説する新書の売れ行きなど)。現代の高齢者は、かつてない長寿という条件のなかでどのような宗教性、スピリチュアリティを形成してゆくのだろうか。それに宗教の知恵は答えられるのか。それとも捨てられるのか。あるいは、新たな宗教の知恵が積み重なるのか。

いずれにしても、いま出現しつつある「新しい老い」と宗教との関わりを、様々な予兆から正確に理解し、学問的かつ多角的に考察することが、宗教と文化と社会の成熟および深化に資することになるだろう。このような見通しのもと、人間にとってきわめて自然だが、人類にとって新たなチャレンジでもある現代の「老い」に、宗教がどのように向きあうかを考える材料を集約し、世に問いたい。それが本特集「老いに向きあう宗教」の目指すところである。

『現代宗教 2014』編集委員会

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