お問い合わせ

TOP  >  国際宗教研究所賞 >  第九回(2013年度)

第九回(2013年度)

受賞者及び受賞業績

久志本裕子
『変容するイスラームの学びの文化――マレーシア・ムスリム社会に関する文化人類学的考察』(東京外国語大学提出博士論文、2012年7月)

受賞理由

本博士論文はマレーシアにおける宗教教育の展開を「イスラームの学びの文化」という視点から調査研究した成果である。20世紀初頭にイスラーム指導者たちが、イスラームの学びに従来とは違うどのような新しい認識をもつようになったかについては、クランタン州で1918年に創刊された雑誌『プンガソ』に注目する。こうした歴史資料を読み込む一方で、5年にわたり現地で実態調査を行い、参与観察、面談調査を重ねて分析している。
著者の主たる着眼は、伝統的な「イスラームの学び」が近代的な「イスラーム教育」との相互関係のなかでどのように変容したかである。マレーシアにおける伝統的イスラーム教育は、マスジド(モスク)で行われるものや、ポンドックと呼ばれる寄宿塾で行われるもの、あるいは個人の宗教教師の家で行われるものであった。これらは、しかし、マレーシアに近代的学校教育が導入されるとともに、しだいに周縁的存在になっていく。近代学校教育が導入されるのは20世紀前半で、1960年代以降急速に普及し始める。その結果、近代的な「イスラーム教育」が、伝統的な「イスラームの学び」に大きな影響を与えたことや、イスラーム教育が学生の社会的地位を保証するなどの社会的有用性を持つものに変容したことを事実としておさえる。しかし一方で、「イスラーム教育」が目指した社会的機能への効果は少ないと分析している。
近代的な学校制度の外側で展開された「イスラームの学び」はどういう変容をしたかについては、ポンドックを例に分析がなされている。ポンドックではトッグルと呼ばれる宗教指導者のもので学びがなされる。学びと生活の場が合体した共同体であるポンドックの実態を細かく分析することで、伝統的学びの主要な要素を抽出する。20世紀初頭から1930年代にかけて、ポンドックは最盛期を迎えるが、この時期は同時に近代的学校の形式を取り入れたイスラーム学校がマレー半島各地に設立され始めた時期でもあった。ポンドックが近代的学校の形式を取り入れたマドラサや宗教学校へと変化する例も出てきた。こうした変化には、マレーシア国内の状況のみならず、エジプトのアズハル機構における近代化が影響したことを指摘している。
1970年代以降になると、今度は近代的学校制度を当然として育ったイスラーム指導者たちの間に、学校教育をいかにイスラーム的なものへ変革すべきかという関心が生じた。こうして活発となったイスラーム復興運動の「ダアワ運動」について分析されている。1980年代以降はダアワ運動の要求が一部反映されるようになり、イスラームを教授する時間が増やされ、イスラームを専攻する学生の進学の機会が大幅に拡大された。ところがこれにより「イスラームの学び」が現世における有用性と結びつくようになったことに、違和感を抱く人も出てきた。そうした人々は、ノンフォーマルな「イスラームの学び」の場を形成する。その具体例をクアラルンプール周辺において調査している。これを近代的イスラーム教育で失われた要素を取り戻そうとする動きととらえ、そこには意味の変容を食い止めようとする試みがあるという結論を導いている。
このように伝統的なイスラームの学びと近代的学校教育との複雑な相互関係を、時間軸に沿って明快に分析している。イスラーム社会の教育の実態についての詳細な研究は、世界的にもまだ未開拓に近い領域である。とりわけ公教育における宗教教育についてのこのような実態調査はきわめて少なく貴重である。マレーシアの事例研究にとどまることなく、アズハル機構との関連を含めて広くイスラーム世界への視野をもっていて、国際性という側面においても、極めて優れている。
以上により、本論文を国際宗教研究所賞に十分値するものと評価した。

2014年2月22日
(公財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴

久志本 裕子 くしもと ひろこ
1979年生まれ。2011年東京外国語大学地域文化研究科博士課程単位取得退学。2012年博士号(学術)取得。2005年小貫英教育賞最優秀賞受賞。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は文化人類学・ムスリム社会研究。

主要業績

"Islam and Modern School Education in the Journal Pengasuh : Review of the Kaum Muda - Kaum Tua Dictionary" in Studia Islamica, vol.19 No.2, 2012.
「マレーシアにおける伝統的イスラーム学習の変容」(日本比較教育学会編『比較教育学研究』第40号、東信堂、2010年。)
「豊かな次世代を育てるために――マレーシアにおけるイスラーム教育の模索」(奥田敦・中田考編著『イスラームの豊かさを考える』丸善プラネット、2011年。

ページトップへ戻る