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第三回(2007年度)

受賞者及び受賞業績

西村 明
『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』有志舎、2006年12月

受賞理由

award3.jpgaward3_2.jpg西村明氏の『戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム』は、戦死者及び原爆慰霊研究に対する著者独自の理論的な対概念「シズメ」と「フルイ」の提示を行うことを通じて、宗教学の立場から長崎の原爆死者の慰霊を扱った労作である。本書は、第一部「戦争死者へ向き合うこと」、第二部「戦後慰霊と戦争死者―長崎原爆慰霊をめぐって―」の二部構成になっており、第一部では後に述べる戦争死者慰霊を論じるための理論的枠組みが提示され、第二部では、長崎市の原爆慰霊、朝鮮人原爆死者の遺骨の保管と追悼碑建設、長崎医科大学の学徒犠牲者の遺族たちの動き、そして原爆死没者追悼平和記念館の建設によって遺族の間で生じた反応など、長崎の原爆死者をめぐる慰霊の諸相の詳細な検討がなされている。
さて、本書は、次の三点において慰霊研究において特筆すべき重要な学問的貢献を行なっていると判断される。第一に、政治的領域に収斂しない、戦争死者の慰霊という新たな問題領域を開拓したということである。著者は「戦死者」や「戦災死者」というこれまでのカテゴリーとは異なる「戦争死者」というカテゴリーを設けることで、戦争などの外的な暴力によって亡くなった死者全般に対する慰霊という人間の宗教的・文化的営みのもつ意味を宗教学的に捉えようとしており、これまでの慰霊研究に大きな問題提起を行うとともに、新たな角度からの慰霊研究の可能性を提示したと考えられる。
第二に、著者が慰霊現象を捉える理論的枠組みとして、「シズメ」と「フルイ」という対概念を提示したということである。「シズメ」という言葉は「魂を鎮める」という意味で慰霊という行為に一般的に使われるが、それを「フルイ」というもう一つの言葉の対として提示したことに著者のオリジナリティを認めることができる。「シズメ」のベクトルでは、生者の側が死者に対して「その悲しみや苦しみをなだめ」、「フルイ」のベクトルでは、生者が死者をなだめようとする場合に、生者の側での「儀礼的対応」や社会的・政治的な実践が求められるということである。これによって、著者は慰霊という問題を単なる死者の霊魂を「鎮める」ないし「慰める」といった生者の側だけの問題としてではなく、生者と死者との関係性として連続的かつ動態的に捉えようと試みているわけである。さらに、こうした著者の視点は、歴史主体としての生者が未来へと向うための「歴史参入装置」として、死者の霊魂を捉えようとすることで、われわれに死者に向き合うことはいかなることなのかという問いを改めて投げかけているように思われる。
第三に、哀悼という二人称の死に対する個別的な配慮、あるいは顕彰という三人称の死が含む一般的・普遍的な方向性など、人称態の変化による戦争死者への態度の変化を丁寧に検討することで、近代の国家的慰霊システムにおいて、体制的な「フルイ」と「シズメ」が、遺族などの「親密空間」や民俗社会における三人称的な「無縁空間」にどのように介入したのかを明らかにしたということである。こうした著者の問題意識は、国家、民俗社会、家族といった次元を異にする空間における慰霊の関係性を連続的に捉える可能性を開いたという点で高く評価できるだろう。
もちろん、本書で展開されている「シズメ」「フルイ」の分析概念はいまだ十分には展開されているとはいえず、この枠組みからの慰霊分析の妥当性についても議論の余地が残る。しかし、本研究は、国際宗教研究所賞の評価基準である現代性、実証性を十分に満足させる力作であり、慰霊研究の新たな地平を切り開くものとして受賞にふさわしい業績と評価できる。

2007年12月8日 (財)国際宗教研究所賞審査委員会

受賞者経歴

西村 明 にしむら あきら
1973年長崎県生まれ。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(宗教学・宗教史学)。日本学術振興会特別研究員を経て、2004年より鹿児島大学法文学部助教授。2005年博士号(文学)取得(東京大学)。現在、鹿児島大学法文学部准教授。専門は宗教学(近現代日本における宗教性)。

主要業績

「慰霊と暴力――戦争死者への態度理解のために」
    (国際宗教研究所編集『現代宗教2002』東京堂出版、2003年)
「国の弔意?――広島と長崎の国立原爆死没者追悼平和祈念館をめぐって」
    (国際宗教研究所編、井上順孝・島薗進監修『新しい追悼施設は必要か』ぺりかん社、2004年)
「暴力のかたわらで」
    (池上良正他編『岩波講座宗教 8 暴力』岩波書店、2004年)
"Relating to the Unknown Dead Through Ritual: About Publicness in Japanese Folk Religion,"
    Forum Bosnae No.39, 2007.

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